ワシも呆けたからのぉ。なにから話そうかの〜。
 名前も、よう思い出せんからなぁ。
 ん〜そう今から、十数年前の頃じゃった。時は、「第二次アニメブーム」が消えかかろうとしておったのぉ。
 ワシゃ、まだ二十代半ば、穢れも知れぬ青二才じゃったな。
 ある日、三田恒星というお方に呼び出されたんじゃ。
「お前は、芝居が好きか?好きだったら、俺の劇団に入れ!
 若いオナゴが沢山いるぞ〜。」
と言われてな。若かったワシは、甘い御言葉に誘惑されて、愚かにもその劇団の門を叩いてしまったんじゃ。
 それが、何を隠そう「からぐた工房」という、その当時は、大人気劇団だったんじゃ。ん〜〜その時の劇団員の顔ぶれか?肝属兼田・野澤又子・下等治・歯方賢市・河田瞬時・犬山竹男。そして、美山慶。
それはそれは凄い方々じゃった。そんな中でワシは、毎日が緊張の連続じゃった。勉強になったぞ。んん?若いオナゴか?沢山おったおった!しかし、若いだけで、可愛い子は〜なぁ…おったかな??
 今でも思い出すだけでも、身の毛がよだつのが、初本読みじゃったな。皆、敏腕の声優さんでもあったから、すでにドラマは完成しておるんじゃ。ワシは、余りの実力の違いに震えたなぁ。暑い夏の日々。でも、毎日が楽しかったのう。
 まあ、そうこうしてワシの「からぐた」一本目の公演は、無事終わったんじゃが…しかし、その公演が終わってから、大事件が起きる訳じゃ。副座長格の肝属氏が退団する事になるんじゃよ。まあ理由は、芝居の方向性の違いだったのか、何があったのか、その時の若造のワシには、よう判らんかったがな。
 そして、退団した肝属氏は、「21世紀ラックス」という劇団を立ち上げるんじゃな。あ〜ワシもこれでも一応、お誘いの声はあったんじゃぞ。じゃが、多勢に無勢で居残ってしまったんじゃ。今考えれば、惜しいことをしたもんじゃ。もしかしたら今頃は、負平と一緒に…。
 ところがその後、大人気役者、美山氏が
、病気を理由に退団していくんじゃな。そして、三田氏が座長を辞任。そして退団へ。野澤氏も退団へと、事態は発展していくんじゃ。まだ、入りたてのワシには、何が起こったのか訳が判らず、それでも2.3本の公演をこなしたかのぅ。新下等体制で、起動に乗るかなと思った矢先、今度は、河田氏の退団じゃな。そして一年後に、下等氏も退いていくんじゃがなぁ。それに続く様にして、若いオナゴ達も大量に辞めてな。兎に角、たった2年の内で、ワシの周りの様相が、ガラリと変わっていったたわけじゃよ。まあ、そこで「からぐだ工房」は、自然解散をしていくんじゃな。
 まあ〜その後、野澤氏は、「劇団モーンライト」。河田氏は、金頓とか名前も変え「劇団」を、それぞれ立ち上げた訳じゃな。
 
そこで今度は、歯方氏を代表にして、残った仲間で劇団を維持していくんじゃが、方向性も無いまま模索していくうちに、今度は、犬山氏が倒れてしまってなぁ。ワシはもう駄目かと思ったんじゃが。ところが、犬山氏が入院しておる際に、歯方氏ととんでもない企画を立ておってのぉ。時代劇をやろう、それも“大衆演劇”をと言い出したんじゃ。
 時は丁度、梅沢某なる下町の玉三郎人気じゃったな。手作りの鬘に衣装、メイクや歌の稽古で、毎晩徹夜で大変じゃった。しかし、これが当ってのう。劇場は、50人は入れば満員くらいのマンションの一室を改造した所じゃったが、御捻りがバンバン飛んだもんじゃったよ。 そう〜その頃、津本君がその劇団に入って来るんじゃが、それからは、面白い様に劇団運営が進んでいってのぅ。劇場も客席数が、七十人から百人、そして百人以上の劇場へと変わっていったんじゃ。そうそう、劇団員の人数も一時期は、五十人近い劇団になって、人員整理などもした事があった位じゃったのう。
 そうしていくうちに、ワシもずる賢くなっての、売店なるものを用意して、色々なものを売る様になったんじゃ。お客様からの差し入れなども売った事もあったのう。そして、劇団独自の品物を考え、作るまでになったんじゃよ。
 そして、次に考えたのは、友の会じゃったな。こうすれば、ある程度の固定のお客様が判るからのぉ。また御贔屓のお客様と、もっと友好を深めたいと思ったんじゃ。じゃが嬉しい事に、この友の会も三百人位の方々が集まって下さってのう。いや〜こうなると、ワシも図に乗って大阪公演じゃ。四回位大阪へ行ったかのう、ああ〜楽しかったわぃ。ところが、こう順調じゃと劇団としては、最低年三回の公演をこなす事が、ノルマの様になってのう。皆、企画やら雑務が増えてのぉ。ワシなどは、殆ど毎日劇団通い
じゃったよ。でも楽しかったし、何も苦にはならなかったのぉ〜。そこには、お客様の期待があったからかもしれんのぉ。
 そして、それから十年以上も経った、ある日、犬山氏がまた病気で倒られてのう。悲しいかな、何度目かの大阪公演を終えて…退団してしもうたわい。ワシも気が付いたら、劇団の中では歳では上から二番目じゃ、ここで管理職についたら、組織管理の追われて、自由な企画が出来なくなると思って、津本君をなんばー2に推薦し置きて、また色々と面白可笑しい事を探して、楽しい劇団活動をしておったんじゃが…世の中には、楽しい事をしてる奴を見ていると、それに嫉妬し邪魔する奴が現れるらしいのう。なんとワシが「劇団を私物化」しているとなどと、讒言を唱える輩が現れおってのう。
 ワシは吃驚した…。はっはっはっ…馬鹿な奴がおったもんじゃ。
 ワシは当然、事実無根じゃんたんだが、数十年もこの幹で生き続けたワシを、疑った事だけでも、腹が立つ前に呆れてのう。それでさっさと、ワシもそこを辞めたんじゃよ。後悔とか未練なんか、何も無かったのう。楽しい数十年じゃたからな。
 犬山氏もその後、劇団を立ち上げたし、ワシも!と思うてのう。辞めた時は、何も考えてなかったんじゃが、世間が当然の様に思っててのう。まあ、ドッコイショという感じじゃな。たぶん辞められた先輩方も、そうだったんじゃろな。
 ん〜今考えれば、あの「からぐだ」という木の幹から、色々な「劇団」という枝が伸び、「役者」という葉を茂らせていくんじゃな。もし幹が朽ち果てても、若い葉や実や花達が…若い役者達の事じゃな。いずれ大空に舞いい上がり、躍進していくじゃろな。そして、大空でまた共演できたら、楽しいじゃろな〜。はっはっはっ!

 ええ?この話は、これでお終いかって?
 いいや、これからが、物語の始まりかもしれんな……。
 そうじゃ、後の話は少し呆けて、名前が覚えられなくなったワシが話さなくても
お前さん達が見た事を皆に話してあげるんじゃ。
 ええな。頼んだぞ!

斧剣翁 ここに記す

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